2012年5月15日火曜日

素敵なタイをおすそ分け①


タイは素敵な国です。
この国にやってきてから、色んなものを見てきました。
皆さんにもほんの少しおすそ分けしましょう。

今回はタイ北部の街チェンマイの夜を散策した際に撮った写真たちです。

Ratchadamnoen Rd 沿いにあるお寺
その境内で餃子を売る兄ちゃん
(ちなみに餃子はキャベツがシャキシャキしていて変わった旨さ)
幸せそうな新婚カップル!
Ipadで絵を描く人なんかもいますよ
@サンデーマーケット
見て下さいよ、この幸せそうなご夫婦
奥さんのマッサージに気持ちよさそうな旦那さん
まさに理想形だよね
色とりどりのかわいい小物もいっぱいなんですよ
チェンマイのイケメン&美女が集う Warm Up Cafe
本当に美男美女揃いでした。IDを忘れずにね 
チェンマイのTuktukは濃いネービーブルーで渋いんですよ 
昼と夜では全く雰囲気が変わる通り

夜食を求め辿り着いた市場らしき場所
スープ...辛そうだぞ、大丈夫か...

上の方に写っているのはのびたそうめんのようなもの
付け合せの漬物やらお花やら野菜やら...
セッティング完了
これらを豪快に混ぜ混ぜしてから食べます
「カノムチン」という料理です
味が幾重にも広がる、たった15バーツ(約40円)の贅沢

チェンマイはバンコクからバスで9時間〜、350バーツ(約1000円)〜で行けちゃいます。
木曜の授業が終わったら夜行バスで週末チェンマイなんてこともできちゃうんですな。

タイ留学、楽しいですよ。


2012年4月5日木曜日

留学までの流れ(闘いの日々編②)

今回は、こうしとけばよかったなぁ...とか、これ大変だった...とか、ここ気をつけんと…と思った点をちょろっと書きます。


きっと大学に入る前や入学後早い段階から留学すると決めているような人たちは、行く国や大学、条件などを調べ、それに合わせ周到に準備を進めていき、晴れて留学!という流れなのでしょうが、ある日突然「よし留学するぞ」と思いたった人は時間に追われ色々と大変です。


①留学先を決める
それぞれの大学には受け入れ要件がありまして、これを満たす必要があります。
TOEFLやIELTS、中国語能力検定試験など検定試験のスコア、フランス語教員による能力証明書、授業を履修するのに十分な語学能力を有すること(派遣先大学が面接などで判断するのか、自己申告なのか...)、GPA、学年...などなど要件は色々あります。突然思い立った僕はもちろんTOEFLのスコアなど持っておりません。持っていたものといえば、何となく受けたことがあったTOEICのスコアくらいでした。TOEICのスコアを要件にしている大学など見つからず、これはほとんど役に立ちませんでした。「授業をうけるのに十分な英語能力を有すること」といった一見緩い(日本での面接時も、実際留学に来てみてからも打ちのめされることになるので...)条件の大学の中から選ぶことになり、かなり選択肢は狭まりました。TOEFLのスコア一つ持ってればなぁ...と思ったものでした。


②留学支援課とのやり取り
正直これが一番大変だったかもしれません。
やり取りを通して僕が学んだことは大きく2つ。

  • 留学支援課は、学生と受け入れ先大学の間に立って、やり取りを仲介するところであり、留学に関する情報に必ずしも明るいわけではない。基本的に情報は自分で集めるべし。
  • 提出した書類がきちんと受け入れ先大学に送付されているか、どのような連絡が来ているか、進行具合はどうか...何でもこまめに確認し、問題がある場合は、メールや電話で済ますのではなく、直接オフィスに出向いて、尋ねお願いすること。いつまでにできるのか大体でもよいから、示してもらうこと。

留学支援課の中で実際に留学生派遣の仕事を担当している人は少なく、しかもそれぞれが他にも大きな仕事を抱えているため、かなり忙しいそうだ(そうだ...)。提携大学も多く、毎年何人も派遣する大学もあれば、誰も行ったことがない大学もある。そのため、留学に関する大切な情報が抜け落ちていたり(情報を知らなかったり)、提出した書類が埋もれてしまったり、受け入れ先大学から届いたメールが見落とされていたり...ということが起こりうる(起こりうる...)。


③教務とのやり取り
大学の教務に対しては、前例主義で融通が利かないというイメージがありました。
僕は、転部で他学部からやってきたり、4年後期からの留学だったり、留学中に代理で卒論提出してもらったりと、少々稀な学生であると自覚していたので、かなり前々から色々と相談をしていたわけです。
そこでまた一つ学びました。


  • 質問や相談、お願いをするときは、ちょこちょこ出向いて口頭で相談するのではなく、相手にわかりやすいように返答しやすいように、小出しにせず質問をまとめて(できれば書面にまとめて)、いつまでに返答いただけるかしっかりと確認すること。


教務の方々も色々とお仕事を抱えていらっしゃいます。他の大勢の学生への影響や兼ね合いを考慮しつつ新しいケースにどう対処するか決めるのには時間だってかかります。何度も何度も来られて、いろんな質問をされて、対応策が依然として決まってないことを揶揄でもされようもんなら、きっとイラッとするでしょう(するでしょう...)。わかりやすいように答えやすいように、「お忙しい中、対応していただきありがとうございます」と感謝の気持ちを持ってお願いするのです。決してこちらがイライラしてはいけません。


実際にそばで見ていた人たちは、僕がここに書いたことから想像できる以上に戸惑い焦りあわてふためいていたことをご存知でしょう。終わってみればいい思い出ですよ。いい思い出...


カレーばっか食べてたなぁ...の図



2012年3月25日日曜日

そして翌日

いつもの帰り道。


今日はちょっと遅い時間だったからか、昨日のユニセフのTシャツを着た若者たちはいなかったけれど、洪水被害者らへの募金活動を行なっている大学生たちに出会った。


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欧米人の男性が、学生らにどこの大学か訪ねていた(どこかの大学の先生だったのかな)。
学生たちが答える。カセサート、タマサート、マヒドン......


マヒドン!? マヒドンは僕が通う大学だ。
ちょうど自分が着ていたマヒドンのTシャツ(日本では「北海道大学!」って書かれたTシャツを街中で着たりしないのに......笑)を指さしながら、
「僕もマヒドンの学生なんですよー今は何をやっているんですか?」
と話しかけてみた。


彼らは、Youth For Next Step という団体に所属する学生らで、昨年発生した大洪水の被災者への募金活動を行なっているということだった。


タイ語、英語、日本語の3言語を織りまぜて、他愛のない会話が続いた。
「日本人なのー?でも雰囲気はタイ人だよー」と言って、彼らはケラケラ笑っていた。
全くそうは思はないけど、言われて悪い気はしない……。


別れ際、僕は財布にあった40バーツを募金箱へ入れた。
仕送りや奨学金はなんだか自分のお金じゃない気がして(自分で稼いだお金で寄付したいとか思ったりして)、最近は募金箱を見てもあまり入れてこなかった。


でも、なにわけのわからん変なこと考えてたんだろうね。
募金なんて、したいと思ったら、今手元にあるお金の中から、自分の好きなだけ、入れる。ただそれだけのことなのにね。


やっぱり、人と話すのは楽しい。
疲れた…...なんて言ってちゃだめ。


Tsunami & Flood Thai-Japan Mini Marathon 完走記念メダル

2012年3月23日金曜日

今日思ったこと

研修先から帰る途中、BTSの Victory Monument 駅では大学生らしき若者たちがユニセフの活動に励んでいた。


その中の一人が僕の方に近寄ってきて、
「Hi ! Where are you from ?」
と、笑顔で話しかけてきた。


僕は次の瞬間、ひと言も返すことなく、彼女の横をすり抜けていた。


5秒ほど経って後ろを振り向くと、人ごみに紛れて彼女の姿はもうなかった。


「今日は疲れてるからな、話すのはめんどいよ」
と自分の中から声がした。本心だった。


確かに最近はやることも多くて、睡眠を削る毎日が続いている。疲れていたのも本当だ。


でも、いくら疲れるまで毎日頑張っていたって、こんな大切なことにすら応えられない。
こんな頑張りの先に何があるのだろう。
とんだ勘違い野郎だ……


明日また彼女に会えるかな。
会いたいな。
会えたならきっと......


Victory Monument 駅

2012年3月18日日曜日

留学までの流れ(闘いの日々編①)

もうだいぶ前のことになるけれど、あの闘いの日々のことを簡単に思い出してみようと思う。
(以下に書く内容は僕の記憶に拠るものなので、現在の正確な情報とは異なっていることも多々あるかと思いますが悪しからず...)


北海道大学―冬―


さて、2011年1月末。
留学しようと決意してまずやったことは、「4年後期から留学する」と周囲に宣言することだった。
宣言することで後に引けなくさせる。
何かをはじめるときは、いつもこれをやってる気がする。
いままで過去の自分の宣言によって後々の自分がどれだけ苦しんできたことか...まぁでもこれは自分にはとても有効な方法だと思っている。


いくら行く行くと言っても、4年生の後期からの留学なんて可能なのだろうか...?
ちょうど卒論書いてる時期だろうし、まだまだ残ってる単位とかどうすんの...?
そもそも9月〜1月の間で留学できる大学なんてあんの...?


大学の制度的に無理だったら、そりゃもちろん行くことはできないのである(留年とか論外だし...)。


北海道大学―秋―


北海道大学では毎年7月末〜10月末にかけて来年度の(大学間協定校への)交換留学生を募集する。
それで枠が埋まらなかったらたしか1月頭あたりから2次募集、それでも埋まらなかったら3次募集...とだらだらと募集をしている。大学によるけれど、留学枠はかなり余ってますよ。もったいない...
(文学部の学部間協定校への募集については、たとえ枠が余っていたとしても10月末で終了ということだったと記憶している...)


まずは留学生センターに足を運んでみる。
色々と聞いてみると、どうやら留学要件(英語のスコアとかとか)や留学期間(9月〜1月あたり)的にみて行けそうな大学がちらほらあった。特にアジアの大学にはTOEFLの点数等の基準が低かったり、「英語で授業を受ける上で十分な能力を有すること」といったかなり曖昧な基準を設定している大学が多かった気がする。


条件的には出願できそうだ。さて、実際留学してもちゃんと卒業できるのか。
まずは担当教官に、留学したいからすぐにでも卒業研究にとりかかり、夏までには卒論を書きあげたい旨を伝える(留学先に持ってくなんて面倒くさいし...)。
答えは即答でOK(やれるもんならね...ニヤッとしつつ、やりたいことやったらいいよとおっしゃってくださった先生に感謝)。


教務はなんと言うかな...
単位の交換はちょっと難しいし、心もとないから留学前に卒業単位全取得していくこと。
卒業論文は担当教官と相談して進めること。提出は代理で構わない。
要は大丈夫そう。


ただ一点問題があった。
「卒業論文を提出する場合は本学に在籍していなければならない」...つまり休学して留学することはできない。
これは大きな問題である。
留学には大きく分けて二つの留学がある。


一つ目は、所属大学に学費を納める交換留学
二つ目は、(休学等をした上で留学し)留学先に学費を納める私費留学


世界にはアメリカのように日本よりも学費が高い国もあれば、アジア圏のように日本よりもずっと学費が安い国もある。当然、アジア圏に留学しようかと思っていた僕は、私費留学がしたい...けど、卒業論文出したいならそれはだめで、交換留学生として留学して下さい。ということだった。


どうにかならんもんですか...と粘ってはみたけれど、どうにかなることはなかった。


まぁでも行くには行けそうだ。
留学までの道はけっこう険しそうだけれど、行くと宣言してまわった手前もう後には引けない。


留学生活に思いを馳せつつ、闘う日々が始まったのであった。


北海道大学―夏―

2012年3月10日土曜日

留学までの流れ(おおざっぱ編)

日本を飛び出しタイにやってきてからちょうど半年が経った。
今さら感はあるけれど、今後留学を考えている人の役に少しでも立てればと、留学までの流れについて書いてみることにする。


大学2年生だった2008年9月から休学して海外放浪に出発し、2009年6月末に帰国。


ロストバゲッジでバックパックなしの帰国の図。(数日後クロネコヤマトが届けてくれました笑)


夏は埼玉県のカヌースクールでバイトしつつ、自動車免許取得。


密かに勉強していたかいあって、水産学部から文学部への転部試験合格、2009年10月。


伸びた髪と番号を発見して喜ぶの図


半年間水産学部の授業受けるのもな...と思い、外国人宿舎に潜り込んだり、沖縄に行ったり、スキー場でバイトしたり、映画に出たり、、、と自由気ままに過ごし、2010年4月より文学部の3年生になる。






久々の学校は楽しく、必死に勉強に打ち込む。夏はチベットへ1ヶ月。




帰ってくると「就活」という言葉がチラホラと聞こえ始める。2010年後期、転部試験の時は「大学院に進学したいです!」と豪語していたけれど、その気持ちも薄れ始める(理由は色々)。そして、学生のうちに留学したいなぁと思い始める(でもそんなことしたら戻ってきた時に大学辞めちゃいたくなるんじゃないの?と先輩にたしなめられる)。社会人になってからでもその気さえあれば、大学院に行けるし、留学もできる、と思い、就職することを決意する。


2011年1月初め、留学支援課から届いたメールで、合格すると留学奨学金に加え内内定がついてくるという夢のような奨学金の存在を知る。1月終わり、なんと合格(ただ、奨学金の支給対象となるアメリカ・ヨーロッパの大学への留学に必要なTOEFL等のスコアを持っていなかったため、奨学金自体は辞退扱い。しかし、内内定と時間を得る)。何もしてなかったくせにたった2週間ほどで内内定を手にしてしまったことで、周囲から白い目で見られる。


アメリカやヨーロッパは無理でも、4年生の後期から留学することは可能なはずだ。さっそく教授と相談し、卒業論文の執筆に取りかかる。卒業単位も全取得しておくことが留学の条件であったため単位取得にも奔走(理系→文系への転部であったため大変)。成長性や面白味、物価、あまのじゃくな性格、学期の期間など様々なことを勘案した結果、留学先をタイに決める(2011年9月にタイへ出発、2012年2月に帰国、卒論発表して3月卒業、4月入社計画)。


交換留学生として適格か、大学の留学奨学金給与に値するかを判断する面接(日本語・英語)で担当面接官の先生方にボコボコにされかなり凹む。君、英語かなり勉強しなきゃなぁ...自分の英語の未熟さに絶望。でもなぜか大学側から25万円の返済不要奨学金をいただけることになる。卒業論文、授業、教務・留学支援課との戦い、留学先大学とのやり取り、英語の勉強、内定先同期との懇親会、交友関係...と時間に追われる日々を送る。


そんな中、9月卒業という制度を発見し、水面下で留学期間延長への道を模索し始める。


教授、リクルーター、人事部長、留学支援課、家族、、、「せっかく行くのなら一年間行きたい」とダメもとで相談し訴えた。そして忘れもしない2011年8月24日、この願いがなんと聞き入れられたのである。この瞬間、2012年9月卒業10月入社予定となった。様々な人々のお力添えあって与えられたチャンスだ。感謝感激。本当にありがとうございます。


9月6日の出発までもうあまり時間がない。2月に帰国予定だったから家はそのままにしていくつもりだったけれど、一年行くとなれば、家も引き払わなければならない。退居の手続き、荷物を実家へ送付、掃除もしなければならない。後輩に無理言って家を引き継いでもらえることになり、大きな家電等はそのまま置いていくことができたが、これはなかなかにきつかった。


実家へ送る荷物たちの図




卒業論文は一応書き終えてはいたけれど、教授にご意見を伺ったり、データの整理をしたりと最後まで作業詰め。友人らと最後の飯にも行きたい。。。


結局出発当日は、土砂降りの中、ザックを前と後ろに2つ背負って折りたたみ自転車に乗り、札幌駅まで大爆走。駅前にチャリを乗り捨て、見送りに来てくれた友人に鍵を渡し、びしょ濡れ姿で別れを惜しみつつ悠長にカルピスなんか飲んでたら、なんと飛行機に乗り遅れるという。。。(ANAさんの粋な計らいで次の便に乗れたからよかったものを...)


まぁそんなこんなでバタバタしつつもなんとかタイに到着し、留学生活をスタートさせることができた。
留学して何を得たかが重要であるとは思うけど、留学すること自体が目標だったと言ってもいいくらい出発までは大変だった。


教務や留学支援課と闘い、ビザ等の手続きやマヒドン大学とのやり取り、大学の制度等に関する細かい部分は次回書くことにする。


飛行機を降りてタイの地に足を踏み入れた瞬間のあのドキドキするようなほっとした感覚。
本当に、やってきたんだと実感し、思わずにやけてしまったよ


この飛行機が、僕をタイまで運んでくれたの図











2012年1月13日金曜日

come back to Chaiyapruk

住んでいたChaiyapruk寮も大洪水によって1階部分が浸水し、使用不能となった。


住む場所を追われた僕達は散り散りに逃げ、ある者はバンコク市内へ、ある者は自分の国へ、ある者は近隣諸国へと向かった。ちなみに僕はフィリピン―タイ―日本―韓国―タイと忙しない逃避行だった。そんな僕らに対して大学側はバンコクではBaiyoke Sky Hotel(バンコクで一番の高さを誇るBaiyoke Sky Tower内にある高級Hotel)の隣の小ぢんまりしたホテルを、授業が再開された最近では大学そばのアパートを提供してくれた。特に不自由はなかったけれど、僕らのホームはChaiyaprukだという思いは僕だけでなくみんなどこかに感じていたのではないだろうか...

そして今日(と言っても昨日だけど)、ついにChaiyapruk寮へ戻ることが許された。
荷物を持って戻ってみると、House Keeperのおばちゃんたちの変わらない笑顔が僕達を迎えてくれた。僕らにも自然と笑がこぼれた。

これからはまたChaiyaprukでの生活が始まる。部屋も2人部屋から1人部屋になった。


話は変わる。

今日とある会社の面接を受け、しばらくお世話になることになった。
お金はいただかない。どんなとこで何をするのかはここには書かないけれど、このような機会を与えていただいたことに感謝し努力したい。


ホームに戻り、新しい歯車も動き始めた。
時間は限られている。なら、密度を上げていこう。

わくわくが止まらない、2012年。

電光@Baiyoke Sky Tower